恩貴島(おきしま)は、大阪府大阪市此花区の地名。明治から昭和の町名として、恩貴島南之町(おきじまみなみのちょう)・恩貴島北之町(おきじまきたのちょう)があり、現在の伝法・酉島・島屋・春日出北・春日出中の各地域にまたがった。
歴史
江戸期から明治22年(1889年)までの村名として恩貴島新田があり、摂津国西成郡に属した。はじめ沖島と呼ばれる場所があり、元禄年間(1688 - 1704年)に行われた大宮仁左衛門による開発で沖島新田となった。宝暦2年(1752年)に島屋市兵衛(島屋新田の開発者)の所有になった後、宝暦9年(1759年)の正蓮寺川の開削で南北に分かれ、南側は南沖島、北側は北沖島と俗称されるようになる。たびたび堤防が決壊したことから、安永7年(1778年)に恩貴島新田へと改称。明治2年(1869年)より大阪府に属した。
沿革
- 1889年(明治22年)、川北村の大字となり、西成郡川北村大字恩貴島新田となる。
- 1897年(明治30年)、大阪市西区の大字となり、西区川北大字恩貴島となる。
- 1900年(明治33年)、西区の町名として恩貴島南之町・恩貴島北之町となる。
- 1925年(大正14年)、両町ともに此花区に転属。
- 1926年(大正15年)、恩貴島南之町の一部が春日出町下1 - 2丁目となる。
- 1960年(昭和35年)、恩貴島北之町が酉島町1 - 9丁目、伝法町南1 - 3丁目に編入され、消滅。
- 1975年(昭和50年)、恩貴島南之町が島屋1 - 6丁目、春日出北1 - 3丁目、春日出中1 - 3丁目となり、消滅。
その後の恩貴島
行政地名としての恩貴島がなくなった後も、正蓮寺川に架かる恩貴島橋(伝法6丁目、酉島1丁目、春日出北1・2丁目)や、恩貴島公園(春日出南3丁目)、恩貴島緑地(同)などにその名が残る。
2013年(平成25年)には恩貴島地域活動協議会が設立された。
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 27 大阪府』角川書店、1983年。



