小田妻町(おだづまちょう)は、愛知県瀬戸市水野連区の町名。現行行政地名は小田妻町1丁目と2丁目。

地理

  • 瀬戸市の北西部に位置する。西をさつき台・すみれ台・ふじの台・ゆりの台・本郷町、北を日の出町・中水野町、東を上本町、南を上松山町・北松山町と隣接している。
  • 1丁目は大規模な団地造成が進み、県営瀬戸住宅・病院などがある。
  • 2丁目は市の総合運動施設をもつ市民公園が大部分を占める。

河川

  • 唐沢川(水野川支流) : 町の西部を北流している。
  • 小田妻川(唐沢川支流) : 町の南部から西部に向かって北流し、唐沢川に注ぎ込んでいる。
  • 海老弦川(唐沢川支流) : 町の北東端を東流し、唐沢川に注ぎ込んでいる。

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。また、公立高等学校普通科に通う場合の学区は以下の通りとなる。

歴史

町名の由来

江戸時代、徳川吉宗が将軍に就いたとき、御三家筆頭格の尾張藩が将軍になれなかったことに怒り、紀伊藩が参勤交代で尾張国を通過しようとしたときに、水野村に兵馬を集めて大演習を行い脅しをかけたという。この演習で藩主のいた場所を御立馬おたつまと呼んだのが後年小田妻となったと伝えられている。

沿革

  • 1964年(昭和39年)10月1日 - 瀬戸市大字中水野字戸口・南山の各一部により、同市小田妻町として成立。
  • 1974年(昭和49年)
 4月1日 - 町域の一部がさつき台1〜5丁目・すみれ台1〜5丁目・ひまわり台1〜5丁目・はぎの台1〜4丁目・ききょう台1〜3丁目・ゆりの台となる。
 7月1日 - 町域の一部が日の出町となる。
  • 1981年(昭和56年)6月6日 - 1・2丁目を設置。町域の一部を本郷町に編入する。
  • 1984年(昭和59年)5月1日 - 小田妻町の一部をすみれ台5丁目・山手町・松原町3丁目・水南町・北脇町・東横山町に編入する。2丁目の一部を上松山町2丁目・北松山町2丁目に編入する。
  • 1988年(昭和63年)11月21日 - 1丁目の一部がふじの台1〜3丁目となる。

世帯数と人口

2024年(令和6年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。

人口の変遷

国勢調査による人口の推移

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

交通

鉄道

愛知環状鉄道・愛知環状鉄道線 : 町の西部を南北に走っている。最寄り駅は瀬戸市駅中水野駅になる。

バス

名鉄バス「水野循環線」

  • 【20】【21】【22】【23】陶生病院 - 瀬戸市民公園 - 中水野駅 - 水野団地 - 新瀬戸駅 - 陶生病院 系統が走っているが、町内にバス停はない。最寄りのバス停は、瀬戸市民公園バス停水野支所前バス停本郷町バス停ふじの台西バス停になる。

瀬戸市コミュニティバス「下半田川線」

  • 陶生病院 - 中水野駅 - 定光寺公園 - 妻之神 系統

瀬戸市コミュニティバス「曽野線」

  • 新瀬戸駅 - 中水野駅 - 曽野 - しなのバスセンター 系統
以上、2路線共通 : 小田妻バス停ゆりの台バス停

道路

国道155号 : 町の西部を南北に通っている。

施設

  • 旧・名古屋法務局瀬戸出張所 : 1888年(明治21年)11月5日に名古屋治安裁判所瀬戸出張所として開設され、1949年(昭和24年)6月1日に名古屋法務局瀬戸出張所となる。国の行政組織等の減量、効率化等の基本計画に沿って、2009年(平成21年)11月20日をもって閉庁となった。2023年現在、証明書の交付事務は、瀬戸市役所にある名古屋法務局瀬戸証明サービスセンターで行われている。
  • 瀬戸市立水野小学校 : 1873年(明治6年)4月1日創立。尾張藩校明倫堂の分校興譲館を源としている。2022年(令和4年)5月1日現在の児童数は487人、教員数は37人。
  • 瀬戸市民公園 : 上本町、上松山町にまたがって整備されている運動公園。当町内には、北テニスコート・野球場・陸上競技場がある。
  • 水野介護医療院・水野クリニック(旧 水野病院) : 医療法人宏生会が経営している。診療科目は内科・歯科・リハビリテーション科。病床数は100床。
  • イズモ葬祭 中水野 : 一日一件限定の葬儀会館。60席のホール、会食室、応接室などを有する。駐車場は40台収容。
  • 地下軍需工場跡(史跡) : 太平洋戦争末期に造られた愛知航空機の瀬戸地下工場の跡地。出入口の一部を除いて崩落しているが、貴重な戦争遺跡として、市民団体によって保存活動が続けられている。

その他

日本郵便

  • 郵便番号 : 489-0067(集配局:瀬戸郵便局)。

脚注

出典

注釈

参考文献

  • 瀬戸市 編『昭和39年10月1日施行 町名設定調書(水野北部、品野北部地区)』瀬戸市、1964年。 
  • 瀬戸市 編『昭和49年4月1日施行 町名設定調書(水野団地)』瀬戸市、1974年。 
  • 瀬戸市 編『昭和56年6月6日施行 水野地区 町名設定調書』瀬戸市、1981年。 
  • 瀬戸市 編『昭和59年5月1日施行 町名設定調書』瀬戸市、1984a。 
  • 瀬戸市 編『昭和59年5月1日施行 西松山町地区 町名設定調書』瀬戸市、1984b。 
  • 瀬戸市 編『昭和63年11月21日施行 小田妻町地区 町名設定調書』瀬戸市、1988年。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。 
  • 愛知県小中学校校長会 編『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校校長会、2018年。 
  • 瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会 編『郷土史研25周年誌-瀬戸・尾張旭の寺社・街道・地名-』瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会、2020年。 

関連項目

  • 瀬戸市の地名

外部リンク

  • 瀬戸市ホームページ
  • コミュニティバス利用案内 | 瀬戸市ホームページ
  • ウィキメディア・コモンズには、小田妻町に関するカテゴリがあります。

おいでやす小田の妻は貧乏でも交際!結婚後の年収と自宅は? エンタメの泉

尾張水野陣屋

個別「吉田ダム(小豆島町)」の写真、画像 kazu_ma's photo

瀬戸の地下軍需工場跡

ホーム/小豆島町