秋田 致文(あきた むねぶみ)は、鎌倉時代初期の豪族。奥州藤原氏の郎党。出羽国秋田郡(現・秋田市)を本拠地とした。名前の読みは定かではなく、「ゆきぶみ」、「ただぶみ」など諸説ある。

人物・来歴

資料が残っていないため出自は不明である。姓は秋田だが、これは本拠地である郡名を取ったものと考えられ、安土桃山時代に派生した秋田氏(安東氏の後身)とは別系。

1180年(治承4年) 宇治平等院の戦いで敗れた源頼政の一族が、下野国の守護である源頼兼(源頼政の四男)を頼って落ち延びて来た時に、平清盛が源頼政一族討伐の院宣を出したため、これに従って、千余騎の軍勢を率いて会津方面より源頼政一族の潜む塩原(後の塩原町)へ攻め込んだ。しかし、尾頭峠で塩原八郎家忠と源頼政一族の巧みな戦術で防戦され、勝算なしと見たのかそれ以上戦わずに秋田に引き返している。

1189年(文治5年)8月 - 鎌倉幕府の奥州合戦に際し、主君・藤原泰衡の命を受け、田川郡の豪族・田川太郎行文と共に、越後国方面より北進してきた比企能員と、宇佐美実政の率いる幕府軍と戦って敗れ、さらし首にされた。

参考文献

  • 『秋田人名大事典』 秋田魁新報
  • 『秋田県史 - 第1巻 - 古代・中世編』
  • 『那須記』 1676年 大金重貞
  • 『吾妻鏡』

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