マリー=イザベル・ドルレアン(フランス語:Marie-Isabelle d'Orléans, 1848年9月21日 - 1919年7月20日)は、モンパンシエ公アントワーヌの長女で、パリ伯フィリップの妻。母方の血筋を通じてスペイン王女の称号も持っていた。スペイン語名はマリア・イサベル・デ・オルレアンス(María Isabel de Orleans)。

生涯

モンパンシエ公アントワーヌとその妻であるスペイン王女ルイサ・フェルナンダ(イサベル2世の妹)の長女として、セビーリャで生まれた。スペイン王フェルナンド7世とフランス王ルイ・フィリップの孫にあたる。

1864年5月30日、15歳のマリー=イザベルは父方の従兄にあたる10歳年上のパリ伯フィリップと結婚し、8子をもうけた。

  • アメリー(1865–1951) - ポルトガル王カルロス1世妃。
  • フィリップ(1869–1926) - オルレアン公。
  • エレーヌ(1871–1951) - アオスタ公エマヌエーレ・フィリベルトと結婚。
  • シャルル(1875) - 夭折。
  • イザベル(1878–1961) - ギーズ公ジャンと結婚。
  • ジャック(1880–1881)
  • ルイーズ(1882–1958) - 両シチリア王族カルロ・タンクレーディと結婚。前スペイン王フアン・カルロス1世の祖母。
  • フェルディナン(1884–1924) - モンパンシエ公。

フランスから追われたフィリップ夫妻は、最初イギリスへ移った。1871年に帰国が許され、一家はパリのオテル・マティニョンやノルマンディーのユー城で暮らした。

1886年、パリ伯一家は再びフランスを追放された。1894年、亡命先のイギリス・バッキンガムシャーでパリ伯フィリップは死去した。未亡人となったマリー=イサベルはフランスのランダン城で暮らし、1919年にスペインのビリャマンリケ・デ・ラ・コンデサ(セビリア県の町)で死去した。

参考文献

  • Généalogie des rois et des princes by Jean-Charles Volkmann Edit. Jean-Paul Gisserot (1998)

外部リンク

  • Le château d'Eu musée Louis-Philippe The museum in the château d'Eu

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