董 重(とう ちょう、? - 189年5月)は、中国後漢末期の武将。字は子高。霊帝の生母である永楽太后(董太后)の甥。冀州河間郡の出身。
霊帝の母方の従兄弟にあたるため、衛尉に任命され脩侯に封じられた。また188年9月(8月の説もある)、驃騎大将軍に任じられた。
叔母と共に十常侍の張譲と手を組んで、同じ外戚であった何進や何太后と権勢をめぐって対立した。しかし、189年5月に先手を打った何進の軍勢によって、董重の邸宅は取り囲まれてしまった。董重は捕縛された後に罷免され、自決した。
叔母の永楽太后は何進によって、「蕃后(王侯夫人)は京師(洛陽)に留るを得ず」という王莽の時の故事を持ち出され失脚し、董重が死ぬと憂い怖れて急死した。遺体は故郷の河間に帰り、夫と合葬された。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 范曄 - 『後漢書』本紀 第八「孝霊帝紀」
- 范書 - 『献帝紀』
- 袁宏 - 『後漢紀』「孝霊皇帝紀」下巻 第二十五
- 司馬光 - 『資治通鑑』巻 第五十九




